もっと三国志スピードクリア日誌
■目標は、1年半=18ヶ月=54フェイズでの中国統一。

[ところでこちらは、ぼくが絵を描いているゲームの宣伝です。2008年6/19発売予定です。恐れ入ります]

[宣伝終わり、恐れ入ります]

■1ヶ月目
 一番最初に劉璋を削りに行くのがスピード統一の定石。そんなわけで前回プレイ時に確立した漢中スピード攻略にかかる。関羽に新野の兵隊を率いさせ、空白地の西城に向かわせる。西城に着いたら張飛など統率力の高い武将を呼び寄せて速やかに徴兵、24,000の戦力を整える。
 一方、湖陽港と隆中港の兵士4000を集めて永安に向かう。前回プレイ時は劉表攻略に時間がかかったのを反省し、今回は劉表の攻略を睨みつつ永安を運営する方針。また空白地の寿春にも武将を向かわせて戦力の整備を目指す。劉備は諸葛亮へ三顧の礼。

■2ヶ月目
 関羽隊20,000と張飛隊4,000が漢中攻略に出撃。部隊表示ONにしてあるので、漢中に攻め入る2つの劉備軍の姿が見える。2月下旬には関羽隊が張魯隊と交戦状態に突入。永安と寿春にも部隊が到着寸前。その間、劉備と諸葛亮は武将の引き抜きに専念。魏延・李厳あたりがターゲット。

■3ヶ月目
 漢中攻め、上旬に関羽隊が陽平関を落とすと、張飛隊が代わりに陽平関の守りに入って張魯隊を封鎖、関羽は漢中の攻略にかかる。いっぽう空白地の永安と寿春を支配下に置くと、諸葛亮・徐庶・趙雲・劉封・関平などの主要武将を永安に集結させ、劉璋および劉表攻略に備える。具体的には焼き討ちなどを加えて城の防御力を削る。3月下旬の時点で、魏延・李厳・甘寧・猛達・法正の引き抜きに成功。永安に統率力70以上の武将が10人揃う。関羽により廃墟寸前に陥った漢中と、陽平関の向こうに取り残される張魯隊の図

■4ヶ月目
 3月下旬に漢中攻略に成功。関羽隊は休息の間も惜しんで劉璋攻略に出撃。梓潼を目指し、霞萌関と剣閣を長蛇の陣形で2フェイズ突破、梓潼攻略の準備が整う。 劉璋は数的優位を頼りに永安に対して攻撃を仕掛けてくるが、諸葛亮・甘寧・劉封・関平・魏延で編成した魚鱗陣形の精鋭部隊で容易に退ける。20,000人に対して12,000人で戦っても勝利。劉備本人は内政担当武将を連れて漢中入りし、捕虜の処遇と戦力の補給など戦後経営に当たる。一方北方では馬騰軍が長安に攻め入って激しく交戦中。永安を攻撃に来た劉璋軍を撃退する諸葛亮の図

■5ヶ月目
 5月中旬に関羽が梓潼を落城させる。矛先の血を拭う間もなく、関羽は成都攻略に出撃。永安を守りきった諸葛亮も返す刀で江州攻略に出撃し、劉璋の息の根を止めにかかる。劉備本人と内政武将は落としたばかりの梓潼に入って関羽の後方支援と戦後経営にあたる一方、劉表および馬騰の攻略準備を開始する。具体的には、陣地構築部隊を設立し、喉元に兵力を送り込んでおく。前回プレイ時はここで時間を大幅にロスしたと分析、3歩先んじた手を打っておく。劉表領江陵の目前と馬騰領天水前に陣を構築する劉備軍の図

■6ヶ月目
 関羽が成都に、諸葛亮が江州にとりつき、6月下旬には陥落寸前。いっぽう劉表攻略の準備も着々と進行、江陵および江夏の目前に陣地を構築し、準備万端。


■7ヶ月目
 6月下旬に江州、7月上旬に成都が陥落して劉璋が滅亡。旧臣登用など戦後処理を進めるとともに、戦力増強のため南方空白地の獲得に武将を派遣、さらにあらかじめ構築しておいた前線基地に兵力の輸送を開始すると共に、劉表領江夏も攻略、本格的に劉表を削りにかかる。このフェイズでの輸送、特に馬騰領での動きは後々に大きく響いてくるので慎重かつ大胆に行動。


■8ヶ月目
 劉表への本格進行の準備が着々と進むフェイズ。下旬には諸葛亮と関平が江陵を陥落させると共に、兵力輸送が完了して襄陽への攻撃準備も整う。さらに馬騰領武威に向けて長駆転進の関羽が出撃。一方南方領も獲得して兵力増強を開始。


■9ヶ月目
 中旬に張任と趙雲が江陵を攻略、劉表滅亡。ここまで前回プレイ時より3ヶ月短縮している。さらに寿春からは徐庶が小沛に向けて出撃、北方では晋陽攻撃の前線基地構築準備が進む一方、曹操は西城に対して攻撃を仕掛けてくる。いよいよ曹操との戦闘が本格化する。張任と趙雲の衝車により廃墟寸前の襄陽


■10ヶ月目
 9月下旬に関羽が馬騰領武威を攻略。前回プレイの経験上、武威を先に落としておくとあとがやりやすい、というのは、他の馬騰領は異民族が後で削ってくれるからだ。さらに曹操領晋陽への攻撃の足がかりにもなるなど、最速統一には必要なステップと思われる。一方10月中旬には徐庶が小沛を攻略。徐庶はこのまま矛先の血の乾くまもなく単身で東北地方を目指す。襄平や北平は最後に残りやすい上に城の近くに港などの戦略拠点がなく最速統一にとっては最大の難関なので、徐庶の役割は非常に重要だ。


■11ヶ月目
 10月下旬に西城が曹操に奪われるが、奪還の手筈は整っている。むしろ曹操軍の戦力をゴッソリいただくためにわざと西城を空にしてみせたわけで、11月中旬には甘寧と魏延により西城奪還。甘寧はそのまま馬騰攻略に向かい、魏延は野戦で曹操軍の残党狩りに当たる。同11月中旬には関羽が宛、諸葛亮が許昌を陥落させる。関羽は単身長安攻略へ向かい、諸葛亮は北方へ向けて黄河渡河長駆進軍、洛陽へは張任が攻略に向かう。東北では徐庶が単身北海攻略に当たる一方、小沛付近では張飛が曹操軍と野戦、各方面で戦線が拡大している。南方では法正、李厳、厳顔が零陵を攻略したあとは、各々三方向に分かれて南方制圧に当たる。前回プレイ時には11月段階で劉表攻略に当たっていたことを思うと、そうとう侵攻速度が上がっている。


■12ヶ月目
 12月上旬に趙雲が孫権領廬江を攻略。廬江は地政学的な検討を重ねた結果、江夏から攻め上がるよりも寿春から南下したほうが攻略速度が上がる上に兵力の損失が少ない。趙雲はそのまま長江渡河、秣陵攻略を目指す。南方では法正が武陵を落として柴桑へ進路を取る一方、桂陽に李厳、長沙に厳顔がはりついて攻略寸前、南方制圧も目前。対曹操では、12月上旬、徐庶が単身で北海を攻略、そのまま東海を超えて北平を目指す。地政学的に勘案した結果、小沛からは下ヒよりも北海を攻略したほうが最速統一の理にかなっている。さらに張任が12月中旬に洛陽を攻略。関羽は武関および潼関を長蛇の陣形で短期突破して単身長安攻略を伺い、諸葛亮は官渡港から黄河渡河を目指す。一方武威から対曹操戦に大転回した部隊も出陣、大原陣を放棄し、馬忠を中心に背水の陣を敷いて晋陽に対峙する。また烏丸への曹操攻め要請が成功して北平に烏丸大王隊がとりつき、戦況は一挙に劉備側有利に傾く。


■13ヶ月目
 12月下旬には李厳が桂陽を、厳顔が長沙を落として南方平定。李厳と厳顔はすぐさま転進して法正と合流、黄河を下って柴桑を目指す。趙雲は廬江から黄河渡河に成功、猛達と共に秣陵攻略を目指すが、孫権も兵力十分なので近隣の戦略拠点を有効に活用することが肝要。北西では羌が劉備の要請に呼応して馬騰攻撃を開始。それに乗じて劉備本体が西平攻略に当たる。1月中旬には甘寧が天水を攻略、そのまま安定を目指して休息のまもなく出陣。一方曹操領でも激戦が続く。関羽は長安にとりついたものの野戦部隊にも囲まれて苦戦中、晋陽でも馬忠が心攻で兵力を補充しながらぎりぎりの線で部隊を保っている。さらに汝南には1軍を編成できず、2軍をかきあつめて部隊編成、ぎりぎりでの攻略を図る。ただしエース諸葛亮は業を易々と攻略。業は北方平定の戦略拠点とすべく輸送部隊を急速編成、戦力の集中を図る。諸葛亮自身は南皮攻略のためにすぐさま出陣するが、他に上党・北平・薊攻撃のために貴重な兵力を適正に分配しなければならない。ここが頭の悩ませどころ。烏丸が要請どおり襄平を廃墟にしてくれたのは僥倖。


■14ヶ月目
 対孫権、南方平定を完了した法正・厳顔などが黄河渡河し、柴桑をうかがう。廬江から東進した趙雲と猛達は秣陵にとりついて攻略寸前。対馬騰、西平には羌部隊が攻撃を加える一方で劉備自らも攻撃参加、落城目前。安定には甘寧が単身衝車部隊で向かい、援護のために余剰兵力を長安に集結させる。対曹操、1月下旬に文聘隊が汝南を制圧、そのまま陳留を目指す。同じく1月下旬に張任が濮陽を攻略、そのまま長江を渡って平原に攻め上る。2月上旬には馬忠が晋陽を攻略、そのまま薊攻撃を目指す。諸葛亮は単身南皮攻略を敢行、徐庶は東海を渡りきり廃墟となった襄平を通過、北平を北側から伺う。北平に対しては業からも続々と攻撃部隊を繰り出す一方、烏丸にも要請を出す。下ヒには小沛から張飛と黄忠が進軍中。北の戦略拠点となった業には輸送部隊が続々と到着、陣形を整えて上党・北平・薊に向け絶え間なく出陣。


■15ヶ月目=中国統一完了
 最後の1ヶ月で6つの城を一挙に攻略、馬騰・孫権・曹操が同時に滅亡し、1年3ヶ月での中国統一が成った。
 前回プレイ時の1年11ヶ月から自己記録を8ヶ月更新したわけだが、いくつかの工夫が功を奏したといえる。(1)劉表攻略の下準備(陣の構築など)に関する工夫(2)馬騰攻略ルートの工夫、特に武威から晋陽への早期兵力展開(3)北東部攻略ルートの確定、特に小沛〜北海〜襄平ルートの開発、この3点が大きかったと思われる。
 セーブデータを置いておくので、関心のある方は参照されたし。

3月下旬:関羽により廃墟寸前に陥った漢中と、陽平関の向こうに取り残される張魯隊の図


4月中旬:永安を攻撃に来た劉璋軍を撃退する諸葛亮の図


5月下旬:劉表領江陵の目前と馬騰領天水前に陣を構築する劉備軍の図


9月中旬:張任と趙雲の衝車により廃墟寸前の襄陽。劉備が輸送に当たっているのは、鼓舞の技能を持っているため

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